金井南龍「ワケミタマとは何か」

武田 なるほど、神には必ず菊座というものがある。そして、一合目から一〇合目までのランクがあるわけですね。

金井 ええ、神のランクというのは一分一厘のまちがいもなくあります。神界の秩序を維持するために厳しいですよ。

武田 菊座の弁の数は、ランクによってちがうんですか?
金井 そう、ランクによってちがう。一〇弁のものも、一六弁のものも、二〇弁のものもありますが、 必ず六弁以上の菊座を持っています。

武田 五弁以下の神はない?
金井 それがね、人間は必ず五弁の菊座を持っているんですよ。もちろん、ふつうの人には見えませんが、見える人には見えるわけで、これは肌の色や人種、血統にはまったく関係なく、誰でも五弁の菊座を持っているという点においては、人は生まれながらにして平等なんです。

 天皇陛下……私は近衛連隊におりましたから、今上天皇の菊座を拝し奉る機会があった。やはり五弁です。現人神なんてのは、だから虚構なんです。あとで他の行者で、やはり菊座を見られるのがいたんで確認したら、やっばり陛下も五弁だと言ってました。

 この人間の菊座というのは、高天原の親神からいただいたもので、私たちはワケミタマ(分身魂)と呼んでいます。だから弁の数からゆくと、みんな平等なんだが、親神はそれぞれちがうわけなんでね、その意味じゃ平等ではないんですな。

武田 ワケミタマ、五弁の菊座というのは、人間の魂の中枢と考えていいわけですか?
金井 そう、それに対して肉体という衣は、地球の主である魔王さんからの借り物なんです。

それでね、自分のワケミタマをいただいた親神を見つけ、ワケミタマに応じた自分の使命を自覚して、自已完成した者 ------ これをミコトモチと言うんですが、そうなると死んで肉体の殻を抜け出して、あのゴッホのように、高天原へ直行して永遠の存在になれるんです。といっても、まあ、こんな直行組は、一世紀に五、六人も出ればいいところですナ。たいがいの人間は死ねば霊界送りです。
筑糸 なるほど。 

金井 これは、神と魔王の契約なんです。地球の主である魔王とその配下の者たちは、人間が死んで四九日たつと、魂の中枢であるワケミタマをくりぬいて、料理して食べる ------ 神とのそういう約束になってるんです。
 それでワケミタマをくりぬいて食べちまうと、魂の外皮は不要なので、生きていたときの潜在意識つきで霊界送りになる。霊界、幽界、冥界、これらはすべて東京都の夢の島みたいなもので、要はゴミ捨て場なんです。

武田 霊界から、再びこの世に転生するということは?
金井 もう魂をくりぬかれて霊界へ廃棄されてしまえば、神といえども、もう一度菊座を与えることはできないんでね、この世に生まれかわるなんてことは金輪際ないわけだ。輪廻転生なんていうのは、真っ赤な嘘です。
武田 なかなか厳しいもんですね。

金井 ハァ、神からもらったワケミタマを自覚して、魂にしめり気を与え、芽を出して生長し、花を咲かせて光芒燦然と輝いているのは、魔王界にとっては毒物中の毒物なんで、絶対に食糧にはならない。さっさと肉体の衣を魔王に返して、魂は高天原へ直行するわけですが、こんな例はさっきも言ったように、残念ながらごく少ないんですな。

 じゃあ、しめり気があって芽を出しかけてる魂、花を咲かせるところまでは行かないがツボミくらいは持っている魂はどうなるのかというと、これはカサラギ神の主宰する仏界に行くんです。このカサラギ神のことを仏教では阿弥陀と言っております。

 また、極貧の家庭などに生まれ、生きているうちは尊い教えとか教育や勉学のチャンスに恵まれず、本人の責任ではないのに社会の底辺でウジ虫のように生きておった者が、死んでから阿弥陀の教えを受けて、ワケミタマにしめり気が出たら、やはり仏界に行くことができる。

 仏界へ入って、そこで修行して精進すれば、やがて高天原の神界へ行くこともできるんですな。シャカは、この世における敗者が、その死後において立派に復活できることを説いたんで、決して何度も人生があることを説いたわけじゃない。

武田 つまり、仏教というのは敗者復活の教えですね。
金井 そう。カサラギ神界というのは、副次的なものなんです。このサブをメインにすれば、まず救いはない。
武田 追試や補欠入学を前提に、入学試験を受けるようなもんですね。

金井 はい。ましてや、あとから加えられた大乗空論。まったく仏教の行くところ、すべてが「空」か「無」になってしまいます。
 だいたい、この世の敗者どころか天皇の位に生まれながら、頭を丸めて敗者復活の仏教に帰依したなど、神道をないがしろにするにもほどがある。

まったく、貴族階級や生活に恵まれた者たちの仏教帰依、あるいは高僧や名僧といわれる者たちの言動や記録を見れば、狂っているの一語につきますよ。狂いは狂いの輪廻をくり返し、今日でも何不自由なく生活しているのに、生きているうちから仏教に帰依している愚か者がいる。これはもう、魔界へ食糧を提供していること以外の何物でもない。

 それから、霊界の住人どもが、この世の生きた人間に憑いていわゆる指導霊・支配霊・守護霊・背後霊などになっているんだが、ウッカリこんなのに関わり合って指導や守護を受けていた日には、自分もやがて神からのワケミタマをくりぬかれることは必定です。

 とくに昨今ひどいのは、日本における霊界研究のあり方です。亡霊があの世から来てこの世の霊媒に憑いてその潜在意識をしゃべると、転生すなわち生まれかわりと解釈しているんだ。心霊科学的に指導霊とでもしておけばいいものを……ともかく、この頃の日本では、生きている人間が節度を失って、あの世までを攪乱しようとしている。恐ろしいことです。

武田 その、生きているうちに、魂をくりぬかれるということはないんですか?
金井 あるとも。剌身みたいにね、生きている人間の魂を調理して食べるとおいしいことに魔界でも気付きはじめ、その結果、神のワケミタマを生きながらにしてくりぬかれてしまっている、〈生き精霊(しょうりょう)〉がのさばり出している。いわゆる霊媒のなかには、この〈生き精霊〉のケースが少なくない。

でも、これらはけっこう商売繁昌してるんです。病気治しだってできるんだから。病気よりも強い魔を憑ければ、病気の症状はストップしますからね。

 しかも、神様が懸ってご託宣を述べることもある。ただし、本当の神様じゃない。霊界の住人が勝手に神界の神の名前を語るんです。
武田 それを見わける方法は?
金井 よくよく霊視すれば、神の象徴である菊座がないんでね、ニセ神であることがすぐバレますわな。ニセ如来、ニセ菩薩にも同じように、仏界の象徴である蓮座がありません。


         ◇


武田 金井先生は、一人一宗と申しますか、個々人の親神ということを、たいへん重視されるわけですが、一般の人に、お前は何神様のワケミタマかと聞いて、答えられる人はまずいないんじゃないでしょうか? 親神の見つけ方というか、つき合い方というのを具体的に……。

金井 「親神とつながる」ということと、「ワケミタマを知る」ということは、かなりレベルのちがう問題なんです。親神とつながるということは、神様会社に入社してミコトモチになるということですからね、親神の声を聞けるようになるというのが最低条件です。

ここまで行くのは、神様一辺倒のそれは厳しい道です。餓えたときに食物を求めるが如くに、神理を求めてやまない餓鬼道を通り、神理を得るためには牛馬が重い荷を運ばされても何らの不平不満を言わずに黙々と歩むが如くに、堅忍不抜の畜生道も通りぬけ、そして我こそ神理の彼岸にさきがけんと修羅道を邁進して、なお彼方の神理を求めて進まなきゃなりませんからな。

 これに対して「ワケミタマを知る」ということは、商単に言うと自分の本性を知るという段階だから、これは誰でもその気になれば出来ることです。この段階じゃ、別に神様の名称なんてどうでもいいんです。要は自己発見ですから。

 たとえば久久能知(ククノチ)系 ------ 久久能知命というのは、『古事記』では木の神になってますが、本当は知恵を司る神様で、このワケミタマにとっては、本を読んだり、新しい知識を求めたり、何か研究することがちっとも苦痛にならないんですな。

 これに対して、ちょっと分厚い、硬い内容の本を読ませようもんなら、一頁も開かないうちに眠くなっちゃう、いい睡眠薬になるなんていうのは、手力雄(タヂカラオ)系です。手力雄命というのは、天の岩戸をこじあけた強力の神ですから、このミタマの人間はスポーツや格闘技、大学でいうなら体育大学向きなんです。

 で、まあ言えることは、どうせ一回こっきりしかない人生です。くだらない社会通念や常識にしばられずに自分の本当にやりたいこと、本当に生きがいを感じられることをおやりなさい、ということです。それが新しい神道の理念にもとづく惟神(かんながら)生活と言えましょう。

 でもね、この「自己の欲する所をなせ」という道でもね、徹底的に打ちこみ、邁進すれば、親神とつながるところまで行ける可能性はあるんです。職業、技能を通じて神と通じることがあるんですね。ゴッホなんか好い例です。それから、まだそこまでトテモトテモですが、プロレスのブッチャー、あれは格關技を通じて行をやってる男です、あの人は。

 

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金井南龍ほか著『神々の黙示録』徳間書店、1980年。より

 

 

 

 

 

 

 

金井南龍「ゴンの神には菊座がない」

金井 自分の親神を見つけ、ミコトモチを知るというと、一人一宗でもかまわない、個に徹して全体につながるというわけだ。「さすらの会」もね、やがてレベルアップして「あさどの会」にしたいと思っているが、それは人種の如何を問わずに、個人完成した者が集った地球一国家そのものの青写真となるだろう。

その場合、必要になってくるのは「世界宗教概論」だ。僕は今、これを構築する必然性を痛切に感じている。もちろん宗教学概論や比較宗教学じゃダメ、神様ヒエラルヒアを軸にして、統合的な認識を可能にするものじゃないとね。

―――「さすら」誌でブラヴァツキーの把握した神がゴンの神であるとお書きになってますね、そのゴンの神というのは何なのか……そのあたりから先生のよくおっしゃっている直霊(コン)・和魂(ゴン)・幸魂(ハク)・奇魂(スイ)・荒魂(ダラニ)の五段階ヒエラルヒアについて述べていただけますか?

金井 結局、和魂(ゴン)の神というのは、つなぎの神様なんだ。直霊(コン)でなくっちゃ、本当の神とはいえないんだけれどね。

今、人間というものを考えてみると、これは、肉体と、神のワケミタマである魂から成り立っている。肉体を統轄するのが幸魂(ハク)=精神でね、今の学問、サイエンスというのはこのハクどまりだ。スイは生命、ダラニは身体の次元だ。神界はコンなんだね。

ところで、人間において、何がコンと、ハク以下の肉体を管掌するものとを結びつけているか、これは今のハクどまりのサイエンス次元では不可知だろう。実は、それこそがゴンの、ムスビの働きなんだ。

これはさすがに天皇家も隠蔽し切れなくて書紀にこの神の名を残さざるを得なかった、白山菊理姫の働きなんだ。宇宙が分裂せずにいるのも、地球が正しく回転しているのも、日本列島がフォッサマグナでブチ切れて海中に没し去らずに済んでいるのも、菊理姫のゴンによるものなのだ。

―――と、菊理姫はゴンの神様なんですか?

金井 いやいやとんでもない。菊理姫は本当の神、コンの神ですよ。菊理姫の働きがゴン、 …… 。

ゴンの神という具体的なイメージを示すとすれば、西洋でいうフェアリー、日本の天狗などだ。もっとも、フェアリーは西洋だけ、天狗は日本だけにしかいないということはない。日光の奥の古峯ケ原には、外国から飛んで来た天狗がウヨウヨいるよ。天狗が見えるメガネを作ってね、連れて行ってやりたいぐらいだ。


     ◇


―――コンの神には菊座があるが、ゴンの天狗にはそれがない……人間はどうなんですか?

金井 人間には、コン・ゴン・ハク・スイ・ダラニの五弁の菊座がある。これは神と共に生きるチャンスを与えられている、ということなのだ。だから天狗たちも、五弁の菊座に乗っている人間を、神についで尊敬しているんだ。つまり、人間というのはヒエラルヒアを確認するしないで、天狗以上にもなれるし、天狗以下にもなるわけだ。まぁ、天狗以下のものがほとんどだがね。

 そして、人間が死んで五〇日経つと、魔王界では神のワケミタマであるこの魂の菊座をくりぬいて、料理して食べとるんだ。菊座を食べてしまえば、魂の外殻である魄(ハク)やエクトプラズムというようなものは魔王界では不要なんでね、生きていた時の潜在意識付きで、霊界へ廃棄処分にするわけだ。

―――魄(ハク)と先程のハクは同じではないのでしょう?

金井 ハクは魄に通ずるものではあるさ。ハクは思想・精神・意識・ロゴス・サイエンスといった観念を引き出す。この働きで生じたのが魄(ハク)というわけだ。いわば魂という豊饒な核のイコンだね。しょせん人間界での製造品――偶像なんだから、神のワケミタマ、魂のイミテーションという限界は越えられないわね。魄(ハク)をいくら探究したって、神界には到達せんよ。

それで話をもどすとさ、霊界、幽界、冥界、なんと言ってもよいが、東京都の夢の島みたいなもんで、要はゴミ捨場なんだ。このゴミ捨場からハエのようにブンブン飛び立っているのが、菊座なき神仙やヨガ界の住人だ。

霊能者がいくら浄霊――なかにはそれを秘教だの秘儀だのと言ってるバカがいるがね、とんでもないわ。そんなものいくら試みたところで、霊界に行っちまった者に菊座は永久にもどらないんだ。肝心要の魂の中枢が魔王界で食糧になって、糞尿化された霊達に再生や転世は金輪際ない! まぁ、こんなことはね、宗教団体つくるんだったら言えんわな。

―――そう、祈ると救われる、来世が約束されている、というふうに言わなくちゃダメですよ(笑)

金井 しかし、僕の言うことは事実なんだから、しょうがないよなぁ。親鸞のように救えなければダメだ、なんていうのは神理無視、アニマル人間勝手の詐偽教だ。ほとんどの人間は霊界送りだもんな。

ただし、生きてるうちにアンダーゴッドの垂直思考を駆使してさ、神からもらったワケミタマを自覚してね、しめり気を与え、芽を出して生長し、花を咲かせて実って光芒燦然と輝いとるのは、魔王界にとっては毒物中の毒、まさに劇薬で食用にはならんのだ。この場合は肉体の衣を魔王に帰して一路、神界の高天原目指して昇天して行くんだ。

また、シメリ気があって芽を出しかけとるのや、ツボミくらいは持っているのは阿弥陀(カサラギ)主宰の仏界入りとなる。

仏界からはね、三六本の助け綱が下ってるんだよ。だけど乾き切っている人間にはそれが見えないんだわ。特に日本人の亡者はさ、死後五〇日間、飲めや歌えの大騒ぎをしておって、透明な綱にすがりつく者はほとんどないようだ。仏界へ行ってさ、修行して卒業すれば、神界送りで永久生命をもつ高天原の住人になれるのにな。


     ◇


―――最後になりますが、最近若い人の間で神道に興味を持つ人が増えているようです。そういう人達に対する何かアドバイスがございましたら……

金井 まぁボチボチだね。一気には出来ないだろうね。ひとつは知識――といっても永遠のほうにつながる知識を磨くってことだね。目ある者は見よといってもさ、まだ眼鏡が作れないんだから、知恵ある者が考えるということも必要だ。

それから〈行〉の問題だが、滝に打たれるというのは方法論なんだ。学問だって禊(ミソギ)だし、全学連が棒ふりあって内ゲバやってる、あれだって命がけの禊だよ。ホント、あれで生き残るのは大変だと思うわ。結局、禊というのは、何かに向かう時にさ、古いアカを落して、向かいよいようにするということなんだよね。

ただ、禊(ミソギ)が本物になるには「狹霧(サギリ)」が必要だ。狹霧が神の光に当たれば虹になる、それを虹の懸橋といってね、その虹の懸橋を渡って入れ、とイエスは言っている。

 

 

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「金井南龍インタヴュー」(『迷宮』第二号、1979年)より。

 

 

金井南龍紹介文のまとめ

 

  

金井南龍 かない・なんりゅう

 金井南龍は、1917(大正6)年、群馬県甘楽郡福島町星田(現富岡市星田)に生まれた。本名を三吉という。

金井家は、江戸時代に『先代旧事本紀大成経』発禁事件で流罪となった黄檗宗の僧、潮音を保護した家だったという。

 幼少期より、神霊と交流し神秘な現象を日常的に体験したという。

実業界で一時活躍するが、創立した会社を人に譲り、50年代半ばから全国の山野を跋渉し、「滝の行者」の異名をとった。

以後滝行の指導を通じて人材を養成し、70(昭和45)年、神理研究会を組織した。機関誌「さすら」は現在も発行されている。

 南龍は、神道だけではなく、易、四柱推命にも通暁し、古代史や文学にも明るかった。中でも絵画はとくに好きだった。

絵画制作も手がけ、五十代から精力的に描き始めた。自分が訪れた聖地を描き、五十三次にしたかったという。

残された油彩画は十数点に過ぎないがいずれも特異なものである。86年には文藝春秋画廊で個展を開催している。89(平成元)年没。

 

「スサノヲの到来」読売新聞社 2014
(展覧会図録)

 

 


 

 

金井南龍(1917-89年)は、幼少の頃より神秘的な体験をしている。

1960年頃より同志をつのって滝行などを指導し、70年、神理研究会を組織、機関誌「さすら」を発行した。

南龍はククリヒメなど埋没した神の復権を提唱した。南龍によればククリヒメは、非農耕民の白山王朝が信奉していた神であり、天孫族により滅ぼされ封印されてしまったという。

南龍はククリヒメをアマテラスより格の高い神と見なし、白山神界を明らかにしようとした。その過程でイザナミも再発見されていく。

イザナミは黄泉の国に黒髪大神として押し込まれているとし、やはり、アマテラスより格の高い神として位置付けられている。

 南龍は、神道のみならず易、四柱推命にも通暁し、古代史や文学にも明るかった。

絵画も好きであり、ゴッホの絶筆、《カラスのいる麦畑》のなかに霊的なカラス(おカラスさん)が描かれていると指摘している。

南龍自身、絵画制作を手がけ、五十代から精力的に描き始めた。自分の訪れた聖地を描いて五十三次にしようとしたという。

残された油彩画は10点ほどにすぎないが、いずれも他に類例を見ない独自性に富み、不思議な実感を伴って見る者を魅了する。それは彼自身が感得した神の世界なのである。

《妣の国》(cat.no.7-7)はその第一作にあたる。黄泉の国に神避ったイザナミを幕いイザナギと子のアマテラス、ツクヨミ、スサノヲがその名を呼んでいる。

イザナミの応答は、山の彼方に異様な光として現れる。それは彼らのこだまかもしれない。赤いズボンをはいた、いたいけなスサノヲの姿と相まって何とも切ない作品である。

 
「スサノヲの到来」 江尻潔 読売新聞社 2014(展覧会図録)

 

 


 

 

 金井南龍(かないなんりゅう)

 座談会の主役。大正6年群馬県に生まれる。幼少より奇々怪々な神秘現象を日常的に体験、特異な霊能を発揮したという。

戦後一時は実業界で活躍、異常なまでの商才を発揮したこともあるが、昭和30年頃から全国の山野を跋渉(ばっしょう)、「行(ぎょう)」を積み、「滝の行者」の異名をとる。

昭和35年頃より同志を集め、滝行などの指導を通じて、神と繋がる人材の養成に当たる。昭和45年、神理研究会を組織、同会機関誌『さすら』は現在、114号を数えるに至る。

 易学、四柱推命学にも通暁。また古代史、文学、絵画など博学多才で知られ、蔵書は三万冊を超える。

神道家といった堅苦しいイメージはなく好々爺然としているが、ひとたび神と対するとなると一点の妥協もなく、またその知行一体の霊力ゆえに、多くの宗教関係者には畏怖の念をもって遇されている。

学者、知識人、芸術家に支持者、シンパが多く、日本神道の未来を切り開きつつある数少ない神道家の一人である。

 

「神々の黙示録」まえがき 

 

 


 

 

 私と金井南龍先生の出会いは、四年前、『地球ロマン』誌(絃映社)で「神字学大全」と題し、神代文字と言霊学の特集を試みた時に遡る。

ともかく、当時からこの業界?では、『さすら』誌と言えば有名であったが、同時にその主宰者の金井南龍といえば、ウルサ型でとっつきが悪いという噂で、何人もの人間が門前払いを食わされたと聞いていたので、おっかなびっくりのおよび腰で訪ねたところ、案の定、最初なにか、さかしらを申し上げたためか、やにわにドナられた記憶があるが、今考えるに、それはどうも金井先生のおタメシであったらしい。

 まもなく、本当は心優しい人物であることがわかったが、どういうわけかそれ以来、たいへん目をかけていただき、神道学から古代史の問題に到るまで様々なご教示を下さったり、なにか珍しい資料があるとわざわざ私のためにコピーをとって製本しておいて下さったり、さらには『さすら』誌上では友清歓真と比べられたり恐縮の限りである。

 また、金井先生の紹介で、笠井先生、米津先生、筑糸先生にもふだんからご指導を賜わり、昵懇にしていただいている。

 

「神々の黙示録」あとがき 武田洋一 

 

 


 

 

金井南龍 Nanryu KANAI 

理研究会を主宰する現代きっての博覧強記の神人学者。自宅はさながら古代図書館の趣きがある。

もちろん神界の意を解することも造作ない。白山神界の菊理姫を救出したことは知る人ぞ知るところだ。

現在、世界神界のヒエラルキーを叙述するべく奮闘中である。毎月、「さすらの会」、「易の講習会」も開いている。

 

「遊学大全・極本」 工作舎 1980

 

 


 

 

金井南龍(かない・なんりゅう)

 1917年群馬県に生る。金井家は大成経事件で流罪となった潮音を保護した名家であるといわれ、この道との縁は浅からぬものがある。

幼少の頃より山霊との交渉深く、長じては山岳を抖藪し、「滝の行者」の異名をとる。易学、四柱推命にも通暁。

1960年より神道専門誌『さすら』を発行、すでに110号を数える。神理研究会主宰。

 

「迷宮」2号 白馬書房 1979

 

 


 

 

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金井南龍

『さすら』を編集兼発行する神理研究会主宰者。洒脱、豪快、奔放自在の遊人

 

「遊」1007号 工作舎 1979

 

 


 

 

 さすら  金井南龍 編 

 戦後体制に埋没した古神道の精神を甦らせる

 

 金井南龍主宰の「神理研究会」の機関誌。昭和45年12月創刊。

「神理研究会」は、幼少のころから霊能力をもち、修験道系の行者として修行を積んだといわれ、易占家でもあった金井によって結成された神霊一般に関する個人的な研究団体。

金井の内部には、神社神道や既成の宗教団体の枠内にはおさまりきれない霊的衝動があり、それを究明すべく同志を糾合するに至ったものと推測される。

 創刊時の本誌には、そういった金井の志向を反映してか、鎮魂帰神・審神(さにわ)・滝行などの記録が多くみられる。

しかし、このような行的側面は実践としては継続されたものの、誌面は文献的な神霊研究に重心が移され、中村孝道(なかむらこうどう)・大石凝真素美(おおいしごりますみ)・矢野祐太郎(やのゆうたろう)といった、当時は秘密のベールにつつまれていた霊学家たちの原典紹介で埋めつくされるようになる。

 また、『先代旧事本紀大成経』を紹介し、天津金木・神代文字・布斗麻邇(ふとまに)に関する研究論文を頻繁に掲載するなど、とくに昭和40年代後半から50年代にかけての本誌は、戦後体制の中で忘れられていた古神道のさまざまなアイテムを発掘し、今日にもつながる成果を残すことになったのである。

 

古神道の本」学研 1994

 

 


 

 

戦後を代表する古神道家の一人である金井南龍も独特の一霊四魂観を提唱した。

彼は一霊四魂を入れ子構造として説明する。

各霊魂はそれぞれの中に一霊四魂を備え、その個々の一霊四魂の中にも、また一霊四魂が含まれるという構造である。

これによって金井は森羅万象の一切の産霊(むすび)の構造とヒエラルキーが明らかになるとするのである。

 
古神道の本」学研 1994

 

  


 

 

下刷段階で急遽、タントラ的強さを絵画に秘めた金井南龍氏の『昇り龍 降り龍』の出品が決定した。

ルドルフ・シュタイナーなどが我が国で一般に紹介され始める60~70年代のサブカルチャー世代に強い影響力を与えた南龍氏は、弥生神道(=皇家神道)によって「封印され地の底に押し込められた」日本原住民の産土神を、縄文神道の復興でもって復活させ霊的復興を成し遂げなければならないとした。

これは、大本教の“退隠させられた神々”という概念と類似性を持ってはいるが、南龍氏の縄文期に焦点を合わせた理念は、大本教とは別系統の霊的衝動性を持つ。

そして、白山の菊理姫の再降により弥生神道はその虚偽性を暴露され神界の変革が完了するのだという。

彼は日本神理研究会を主宰し最後まで禊の行を続けた古神道の行者であった。

 

能勢伊勢雄「何かに導かれた龍展 」
「龍の国 尾道」2000(展覧会図録)

 

 


 

 

金井南龍(かないなんりゅう)

大正6-平成元(1917-1989)群馬県に生まれる。本名三吉。昭和36年ごろより宗教活動を始める。

「他人の見つけた神を信仰することは親不孝である。宗教は一人一宗の自由宗教であらねばならない。」という信念を掲げた。

「富士神行」のため全国の霊山、霊場を巡る。

45年に月刊『さすら』誌を創刊する。同年、神理研究会を設立。

著書に『夢の垂直判断』、『ネオ神道主義の一断面・金井南龍インタビュー』、『神々の黙示録』(共著)、『インタビュー・職業を通して高天原へ』がある。

 

「龍の国 尾道」2000(展覧会図録)

 

 


 


細野 僕にとって、いちばんドン・ファンに近い人っていうのは、金井南龍っていう修験をやっていた人です。治療師なんですけど、指圧を基本に自分で研究してたら、古代の蘇生術を発見した。「タマルガエシ」っていうすごくいい名前なんですけど。

吉本 ええっ。すごいですね。

細野 それを僕、やってもらったんですよ。YMOをやってるころで、ヘトヘトだったの。知人の紹介でそのお家に行ったら、けっこうその先生のファンがいて、元気のない人が集まって治療をされてるんですが、ふつうの指圧みたいに寝かされて、背骨を指で軽く押されていくんですけど、全部音がするんですよ、ポンポンポンと。なんでそんな音がするんだろうね。

吉本 なんででしょうね。

細野 わかからない(笑)。背骨が鳴るんですよ。関節が全部。

吉本 ふーん。それもすごく強い力じゃないですよね。

細野 いや、軽く叩いていくの。そのあと、そういう経験がないのでわかんないんですけどね。その金井さんって人はもう亡くなっちゃった。継ぐ人がいないんですよ。

吉本 それって、継げるものなんですかねえ。

細野 やっぱり継げないみたいですね。息子さんがいるけど、やってるって話は聞いてないし。治療してもらいながらその人の話を聞いてあげるのがこっちの役割だから、もう、とんでもない話を聞いてあげるんです。妙義山から天狗が出てきたとか、その天狗はスカンジナビアから飛んで来たんだとか。

吉本 どうしたらいいんでしょう!

細野 もう、わかんなくて(笑)。でも、そんなに変な人じゃないし、ちゃんとしてる人だったんで、聞いてあげてたんですけども。物の見方が面白くて、人間を菊の弁の数で勘定するんですよ。女性を品定めするときに、「あの女は八合目だ」とかね(笑)。

吉本 わからない! 誰にもわからない(笑)。

細野 わからないでしょ(笑)。どうも、八合目というのは人を山にたとえて、十合目っていうのがてっぺんだと。

吉本 じゃあ、八は結構いいセンいってるってことなんでしょうね。翻訳すると(笑)。

細野 そう、いいセンいってるってことです。女性はやはり女性の力があるわけで、それを言ってるみたい。

吉本 ふむ。

細野 女性の力として「何合目だ」とか。ヨガではシャクティっていう言葉があったけど、そういう女性力。だから、きっとばななさんも八合目ぐらいかな(笑)。

吉本 四合目ぐらい。よくわからないけど(笑)。

細野 そんな人がいました。影響されましたね。

 

対談「ドン・ファンに導かれて」
細野晴臣吉本ばなな
(「サルタヒコの旅」 創元社 2001)

 

 


 

 

それから、去年の暮に金井南龍にさそわれて「Y・M・O」のコンサートに行ったかな。あれは異常やった。

■えっ、「Y・M・O」がですか。

▲いや、あんた、あのガキばっかのところへやで、真ん中の招待席は金井南龍様御一行や。あれは、なかなかの取り合わせやったで。

国吉さんちゅう、金井さんところにいちばん古くからいるオバァちゃんもいっしょやったんやが、この人なんか、なんちゅーの、モンペみたいなものをはいてはりましてな、たいへんにナウかった。

 

「迷宮」編集長・武田洋一インタビュー
「HEAVEN(ヘヴン)」第9号
群雄社 1981年3月

 

 


 

 

第12回東京展 

「妙義蜃気楼」金井南龍

 

金井南龍氏の濁りなき心象と自由な発想、そして甘美な色彩感覚は、常に清冽なるイメージを生み、観るものの心眼にしっとり溶けこみ、知らず知らずのうちにメルヘンの世界に誘う。限りなく広がる夢とロマンの世界を構築する氏の意欲的な制作活動に益々期待したい。

 

産経新聞「紙上ギャラリー」
(昭和61年10月7日夕刊)
1986

 

 


 

 

第12回東京展 

「つくば」金井南龍

 

自由な発想と鮮麗な色彩で画布に展開する金井南龍氏の芸術の世界。緑したたる草木や、澄みきった空気の中で自由気儘に動物達が走る・跳ぶ・舞う。

そこには、既成のイマジネーションを超越したパラダイスがある…氏の豊穣なる感性と全人格を投入して創造された小気味よいドラマがある。

氏の一連した作品は、殺伐とした現代に住む人々に、心のオアシスを与えずにはおくまい。観るほどに、心洗われる作品である。氏の織りなすロマンの世界、次回作も期待したい。(東京都品川区在住画家)

 

産経新聞「紙上ギャラリー」
(昭和61年10月30日夕刊)
1986